客観視の何がおもしろいのか
せっかくこういう場をもうけたので虚無だろうが何だろうがせめて週1くらいで何かを書いていきたい。
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ひさしぶりにtwitterを見てみたら、どうやら漫画家の方々のあいだでイマジナリーラインについて話題になっていたようだった。
イマジナリーライン。すこし聞いたことはあるというレベルなのでよくわからん。
で、その話を見ていてちょっと連想したことがある。
前からお絵描き関係のスレで、デッサンとかパースとかについて定期的に持ち上がっている印象のある話題だ。
「漫画を描くにあたりデッサン(orパース)の知識は必須か否か」みたいな答えの出ないやりとり。これ。
たぶん、今回の話とだいたいおんなじパターンだと思う。
まぁ門外漢なのでこういったことについてはべつになんか言えるわけでもない。ただ不毛だとは思うけど。
たとえば今回のイマジナリーラインの話題の中では、「その概念、今初めて聞いた」というプロの漫画家の方が何人もいた、という事実から推して知るべし。
それで、まあ……こういったことに関連して、ちょっと思ったことがあるので、それを書く。
熱意と技術のこと。
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創作すること、というか、こうしてブログを書くこともふくめ何か表現することにおいて、「客観的な視点で見直すことが重要」という話をかならずと言っていいほど聞く。
まあそれはもっともだと思う。
他人が読みやすいように心がける。
書いてからしばらく時間を置いて、熱が冷めてから見直す。
あとはなんかいろいろ、形式的なこと、技術的なこと……。
ところで、人がなにかを表現しようとするその原動力には、熱意のようなものがあると思う。
衝動、とか、勢い、とか。
そういうものがあるんじゃないかと推定します。
で……じぶんがつねづね感じていたのは、「頭を冷やして、客観的な視点で見直す」ことというのは、その表現のエネルギーとなる「熱意」とはどうも相反するんじゃないかということ。
ふつうに考えてそのふたつは相性が悪いように見えるということ。
ひとりよがりにならないように……頭を冷やして……ということを意識していたら、表現することのモチベーションって、いったいどうやってたもつんだろう?
ということがじぶんにはふしぎに思えてならない。
まあ鉄は熱いうちに打てとかそういう話かもしれない。
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ちなみにこの文章がまさにその「どうやってモチベーションをたもつのか問題」につきあたっていて、書き始めてからここまで1週間ほどかかっている。しかもろくに推敲もできていない。
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結局のところこんなふうに思うのは、それはたんにじぶんが無能だからかもしれない。
つまり表現することをこころざすのであれば、時間をかけた客観的な見直しにも耐えうる、熱意の低下を跳ねのける、秀逸な着想なり何なりが中心に据えられているのでなければならないということかもしれない。
そんな感じ。